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メリー・ベーカー・エディ:恐れを知らぬ癒し手

キリスト教科学さきがけ』2010年01月 1日号より

Christian Science Sentinel, 1999 年10月4日号より転載


メリー・ベーカー・エディは、幼いときから霊的な癒しに心を引かれていた。子どものときに、彼女は、への信仰によって幾度も癒しを行なっている。これらの癒しは、彼女の伝記作家たちによってきちんと記録されている。

その当時、彼女のまわりにいた人々は、彼女が将来、本を書き、その本がキリスト教の始祖キリスト・イエスの用いた癒しの方法を復活させて、幾百万もの人々を癒すだろうなどとは夢にも思っていなかった。また、その人々は、彼女が、世界中に支教会を持つ教会を創始し、幾つもの雑誌を創刊し、国際新聞を刊行するであろうとは予想もしなかった。ところが、彼女は、まさしくそれらのことを果たしたのであり、しかも、一般に、女は従うものとされ、指導者になるなど、とても考えられなかった時代のことである。

歴史的に考えると、彼女の生涯の前半、つまり1821年から1866年までのあいだは、後半の壮大な仕事の準備期間であった。彼女は、1843年に結婚したが、一年も経たないうちに、しかも一人息子が生まれる数ヶ月前に、夫は死亡した。彼女は住むところを得るため他者の慈悲に頼るという、未亡人の暮らしに耐えなければならなかった。10年後に彼女は2度目の結婚をした。再婚の相手は、巡回治療を行なう歯医者で、浮気者だった。結婚によって安定した家庭を持ちたいという彼女の願いは裏切られ、彼女は息子の養育権を失った。20年後、彼女は離婚した。この困難な時期に病弱であったということが、体の癒しのさまざまな方法の徹底的探求に、彼女を向かわせた。

医師らが行なっているいろいろの治療法を探査しながら、彼女の心の中には、常に、の癒しの力についての考えが宿っていた。時間が経つに連れ、また経験を通して、彼女は、人間の心が、肉体と健康に及ぼす影響について、少しずつ理解を深めていった。彼女は、純粋に医学的とは言えない同種療法などの治療法も研究した。そして、彼女は霊的真理を、一瞬、垣間みながら、あと少しというところで手が届かず、じれったい思いを重ねていた。彼女の健康は、一時的に回復しても、またもとの状態に戻るという繰り返しであった。

癒す人から著述家へ

1868年、グラバー夫人は、当時そう名乗っていたが、自分の病気を治して、神性科学原理と規則を、完全に理解しようと励んでいた。聖書が彼女の唯一の教科書であった。そして、彼女は聖書の中で発見した神性の法則に従って、他の人々を癒していた。

5月30日、土曜日、「メリー・B・グラバー夫人」宛の電報が彼女が住んでいたウエブスター家に届いた。それはニューハンプシャー州、マンチェスターから来たものだった。「ゲイル夫人が重態、できれば月曜の午前中に来てください。イエスか、ノーか、返事を待つ」。すでにこの時、友人たちは、グラバー夫人は癒す人であると思っていた。彼女は、すぐに荷物をまとめて、メリー・ゲイルに会うために出発した。到着すると、医者たちは、ゲイル夫人は、もう助かる見込みはなく、絶望的だと言った。彼女は肺炎で死にかかっていた。グラバー夫人は、彼女を即座に癒した。この癒しについては、エディ夫人の著書、The First Church of Christ, Scientist, and Miscellany, 105ページに、記されている。後に、何が『科学と健康』を書く動機になったのかと、生徒から質問されたとき、エディ夫人はこの癒しに言及している。その生徒、クララ・シャノンは、当時のことを次のように回想している:

[グラバー夫人が]部屋に入ってきたとき、患者は、枕をいくつも使って体を支えている状態で、話をすることもできなかった。私たちの指導者は、この患者を呼び覚ますことが必要であることに気づいた。そして、[枕を取り去ってから、]「起きられるのですよ、着替えのお手伝いをしましょう」、と彼女に言った。「ゲイル夫人は即座に癒されて、元気になった。

その場にいた医者の一人で、経験豊かな年配の医師が、これを目撃して、「どうやって癒したのですか? 何をしたのですか?」と尋ねた。[グラバー夫人は]、「私にはお答えできません。がなさったのです」と答えた。すると彼は、「これを本に書き、出版して、世界に与えるべきです」と言った。彼女は家に帰って、聖書を開いた。すると次の言葉に目が留まった。「イスラエルのは、こう仰せられる、わたしがあなたに語った言葉を、ことごとく書物にしるしなさい」(エレミア30:2)。

Ivonne Cache von Fettweis and Robert Townsend Warneck, Mary Baker Eddy :Christian Healer (Boston: The Christian Science Publishing Society, 1998), pp. 55-56).

そして、1866年2月、ある冬の日、大きな瞬間が訪れた。彼女は帰宅の途中、凍った路上で滑り、転倒した。彼女は重傷を負い、医師は回復の希望はほとんど無いと診断した。2日間の苦悩のあと、友人や親しい人たちが、彼女の終わりがくることを予期して集まっていたとき、彼女は、人生を一変する洞察を得たのである。

この経験について、メリー・ベーカー・エディは、次のように記している。「それから3日目に、私は聖書を持ってきてもらい、「マタイによる福音書」の9章2節を開いた。それを読むと、癒しの真理が、突然、私の感覚に示された、その結果、私は起き上がり、着替えをした。そして以来、私は、それまで経験したことがないような良い健康を楽しんでいる。あの短い経験で垣間みた偉大な事実を、私は、それ以来,他の人々に分かり易く伝えようと努力してきた。それは、生命は,のうちにあり、そのものである;この生命が生存の唯一の実在である、ということである」(Miscellaneous Writings, 1883-1896, p. 24)。

彼女の人生の後半は,この癒しの方法を他の人々に伝えることに捧げられた。健康回復の後、彼女は、深い祈りと、聖書の集中的な勉強によって、キリスト・イエスが行なった癒しは、奇跡的な出来事ではなかったことを理解した。そうではなく、イエスが意図したことは、すべての人に、誰にでも、科学的な、つまり確実で証明できる癒しを、行なうことができることを示すことであった。イエスはあらゆる時代に、自分に従うすべての人が、「病人をいやし、死人をよみがえらせ、重い皮膚病にかかっている人をきよめ、悪魔を追い出せ、ただで受けたのだから、ただで与えるがよい」(マタイ10:8)という彼の命令を、忠実に守ることを願っていたのである。

エディ夫人は、聖書の勉強と、彼女がChristian Science と命名したイエスの癒しのシステムを明白にする努力を重ねた結果、彼女の発見が聖書に根ざすこと、また、これら神性の法則の適用について説明する本が必要であることを、認識した。Christian Scienceは単なる心的科学ではなかったのである。彼女にとって、それは文字通り、神性科学であり、健康と霊的清らかさについてのの霊的な規則であって、日々の生活の中で実証できるものであった。の法則には、偶然の要素は含まれていない。

この『科学と健康ー付聖書の鍵』と最終的に命名された本を書くことは、彼女にとってある意味で、叙事詩、つまり心の、また身体の、冒険の旅となった。彼女は、つまりに、強いられて書いていると感じ、自分は筆記者としてに仕えていると考えた。当時、彼女は資金に乏しかった。そして、人々は、彼女の急進的な理念、つまりはすべて善であり、悪を知らず、悪を世に送ることもないこと、または人を霊的に完全なものとして創造したということに、必ずしも好意的ではなかった。彼女は、間借りの部屋から部屋へと引越しを繰り返しながら、自分の理念を、祈りによって、また聖書の勉強によって、そして更に、癒しを実践してそれらの理念を立証することによって、発展させていった。

その一例として、生後1年半の子どもを癒したことがある。子どもは慢性的な腸の疾患で「骸骨のようにやせ細っていた。彼はおかゆを少量取るだけで、血と粘液以外は何も排泄しない状態が何ヶ月も続いていた」。エディ夫人は、「子どものベッドに近づき、彼を抱きあげて、静かに抱きしめ、キスをして、彼をベッドに戻した。それから一時間もしないうちに、彼はベッドを出て、遊びまわり、普通に食事をし、完全に癒されていた」 Robert Peel, Mary Baker Eddy : The Years of Discovery, p. 256)。

このように、彼女は、発見の初期の頃から、病気に直面しても恐れないということに、彼女の生徒たちは気づいていた (同書、p. 255参照)。彼女は、は病気を与えたことがない、だから全能のの前にあって、そのような不調には何の権限もないことを、理解していた。この理解は、病気があり得るという根拠を完全に奪い去ってしまう。病気が存在するという根拠は、たとえ苦痛という形で現れても、伝染病の恐怖という形をとっても、あるいは、それを癒そうとする努力は無駄だという信念として現れても、それらはすべて仮想の根拠であり、無力なのである。

科学と健康』の第1号は、1875年に出版された。ある人々は、この本を厳く論評したが、本のメッセージの中に何か深いものがあると感じた人々もいた。メリー・ベーカー・エディは、癒しを真剣に求めている一般の人々のために、その本が教科書となることを期待した。彼女は、「わたしは病人たちが、心ではなく肉体が自分を支配しているという信念ゆえに、非実在の主人に奴隷のように仕えて、多くの年月を費やし、疲れ果てているのを目前に見た」と書き、続いて、「足なえ、耳しい、おし、盲人、病人、官能的な人、罪人を、彼ら自身の奴隷となった状態から、またイスラエルの子らを、昔と同様に今日も束縛しているパロの教育方式から、わたしは救ってあげたい」と書いている(『科学と健康』、p.226)。

彼女はこの本を改訂し、そのメッセージをいっそう明瞭にしたが、彼女自身が、この本の熱心な学習者であった。彼女は、が神性の実在を彼女に啓示していると感じていた。そして、に自ら語らせることが、彼女の最終目標であった。この本は、彼女個人の人格の証言ではなく、また名声と賞賛を自分にもたらすためのものでもなかった。それは、癒しの、罪のあがないの本であり、誰でも必要なときにこの本を読むなら、の力が示されるための本であった。

この『科学と健康』の改訂の仕事は、苛酷な試練のもとで続けられ、時には実際に法廷で裁判が行なわれ、あるいは最も信頼していた人々の離反もあったが、これらの試練が、彼女に、計り知れない活力と力を与えたのである。この本に書かれた言葉の一つ一つが、彼女が直面していた、また彼女の教会確立の仕事が直面していた、現実の問題に応え得るかどうか、試されていたに違いない。この本が、現在も、有用性を保ち、その癒しの効果を社会に与えていることは、それが時の試練を経ていることを示すものである。

『さきがけ』の使命

1903年に、メリー・ベーカー・エディは、『キリスト教科学さきがけ』を創刊しました。その目的は、「真理の普遍的活動と有用性を宣言する」ことでした。ある辞書によると、『さきがけ』定義は「先発の使者」(先触れ、先駆け)ー 後に起こる事が近づいていることを告げるために先立って送られる者、使者」であり、『さきがけ』という名称に重要な意味を与えています。さらにまた、この定義は、私たちの義務を指し示しています。それは私たち一人一人に課せられた義務であって、私たちには、私たちの『さきがけ』がその責務を十分に果たしているか見届ける義務があるのです。この責務はキリストと不可分であって、まず初めに、イエスが、「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ」(マルコ 16:15)と述べて、表明したものでした。

Mary Sands Lee (メリー・サンズ・リー)、Christian Science Sentinel, 1956年 7月 7日

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