Skip to main content Skip to search Skip to header Skip to footer

霊的静けさが、秘める力

キリスト教科学さきがけ』2010年01月 1日号より

The Christian Science Monitor 2009年 8月6日号より転載


ニュースが、恐怖心を静める展望を与えるのは良いことだ。

例えば最近、The Christian Science Monitor (クリスチャン・サイエンス・モニター) 誌が、リォデジャネイロからヒューストンに向かうコンチネンタル航空機が乱気流に巻き込まれ、怪我人が出たことを報じた記事に、次の一文がありました:「年間、約60人が乱気流による事故で怪我をしている。そして、その主な理由は、シートベルトを着用していないことである(「機内事故の最大理由は、乱気流」、2009年8月3日版)。この記事は、読者に、毎年、乱気流で怪我をする人の数は、毎日、飛行機に乗る幾百万という人々の数に比べて、極めて少ないことを知らせ、同時に、各自が自分を守るためにできることがあることを、知らせているのです。つまり、シートベルトを着用する、ということです。

この日々のコラム「キリスト教科学の観点」は、更に、恐怖心に対処する方法を教えています。この記事は、神性の科学の法則、を理解する洞察を与え、どうにもならないと思われる状況にあっても、事態を改善する知恵を与えてくれます。

ここ何年かにわたって、私は、アメリカ各地、また周辺の国々を、町から町へと、飛行機で訪れる旅を重ねてきました。そして時々、それほど頻繁ではありませんが、大抵は軽い短い時間の乱気流に見舞われています。もちろん、シートベルトは着用していますが、他にもう1つ、私が実行していることがあるのです ー それは、祈ることです。その祈りは、恐れるあまり「さま、どうか私たちをお守りください」というような祈りではなく、静かに、確信をもって、「さま、ありがとうございます、あなたがこの宇宙を、そして宇宙にいるすべての人を、絶対的に、慈愛をもって統治していることに、感謝します」という祈りです。

あるとき、ひどい乱気流に見舞われ、それが比較的長く続いたとき、私はその間、祈ることで心の平静を保ち、安全を確信していることができました。飛行機が着陸して誰も怪我人がいないと報告されたとき、私は、自分の祈りが皆の安全の為に貢献したように感じました。ご説明しましょう。

聖書は、が全宇宙の至上の支配者であり、その宇宙には、人(すべての人)が含まれていることを教えています、つまり、がすべての力を持つこと、の上に立つ力は無いこと、そしての力はすべて善であることを、教えています。イエスは、神性のは、常に霊的静けさの状態にあり、そして、この霊的静けさは、乱気流のようなものを完全に排除してしまうことを、証明しています。イエスと弟子たちが、海で激しい嵐に見舞われたときに、彼が嵐に向かって「『静まれ、黙れ』と言うと、風がやんで、大なぎになった」(マルコ 4:39)と書かれています。

要するに、イエスは、嵐に対して、「静まりなさい、がこの場を統治しているのです」と言ったのです。イエスは、がすべてを治めていること、つまり、の存在のうちに行きわたる霊的静けさは、また、の創造したものすべてにも行きわたっていることを知っていたので、権威をもって、彼自身、また彼の周りにいる人々の体験から、嵐を排除することができたのです。

キリスト科学は、神性のの霊的静けさは、今、ここにあり、実証できる事実であることを示してくれるので、実際的です。人の意識が、この事実に心を開いて理解し、この神性のの霊的静けさに委ねるとき、その時、その場で、この霊的静けさが、あらゆる形の心的また物理的な乱気流が現存して、力を持つ、という主張に取って代わるのです。

は、宇宙とその中にあるすべてのものよりも、更に大きいのです。そして、人、の霊的映像と似姿は、を反映しています。それゆえ、あなたも、私も、すべての人が、このの霊的静けさを備え、反映しているのです。祈りにおいて、がすべての力を持つことに考えを開き、この基盤に立って、乱気流の証拠は無力であるとして心的に拒否するとき、どうにもならないといういかなる無力感をも拭い去ります、そして、の力が、人間の状況に働いて、事態を改善するのです。

誰でも、自分自身の安全が守れないという思いに見舞われることは嫌でしょう。実は、そういう事態は起こらないのです、なぜなら、私たちは自分の考えを統治し、イエスが嵐のなかで示した霊的静けさを、私たちも意識に抱いていることができるからです。キリスト教科学の発見者、メリー・ベーカー・エディは、次のように書いています:「私のへの、またに従う人々への、信頼は、次の事実によるのです:は無限の善であること、また、は、に従う人たちに、彼らの持つ隠れた美徳を活用する機会を与えること、つまり、彼らが静けさの中に秘められている力を活用し、そして、嵐が、その力を、活力と勝利に目覚めさせるということです」(The First Church of Christ, Scientist, and Miscellany, p. 204)。

誰でも、の絶対的な統治下にある「静けさの中に秘められた力を活用」して、心的、また物理的な乱気流を、が与える平安と静けさに置き換えることができるのです。

『さきがけ』の使命

1903年に、メリー・ベーカー・エディは、『キリスト教科学さきがけ』を創刊しました。その目的は、「真理の普遍的活動と有用性を宣言する」ことでした。ある辞書によると、『さきがけ』定義は「先発の使者」(先触れ、先駆け)ー 後に起こる事が近づいていることを告げるために先立って送られる者、使者」であり、『さきがけ』という名称に重要な意味を与えています。さらにまた、この定義は、私たちの義務を指し示しています。それは私たち一人一人に課せられた義務であって、私たちには、私たちの『さきがけ』がその責務を十分に果たしているか見届ける義務があるのです。この責務はキリストと不可分であって、まず初めに、イエスが、「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ」(マルコ 16:15)と述べて、表明したものでした。

Mary Sands Lee (メリー・サンズ・リー)、Christian Science Sentinel, 1956年 7月 7日

『さきがけ』について、その使命について、もっと知る