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真理の声を聞く

キリスト教科学さきがけ』2009年10月 1日号より

Christian Science Sentinel, April 27, 2009


6ヶ月前、私は仕事のために東京からアメリカに出かけ、仕事を済ませて、東京に戻るためオレゴン州のポートランド国際空港に行きましたが、そこは沢山の人で混雑していました。私は携帯電話を持っていて、重要な電話番号をすべてそこに入れていました。搭乗ゲートに向かう途中、お手洗いに立ち寄ることにしたのですが、そこでうっかり、携帯電話を棚に置き忘れてきてしまいました。セキュリティ・チェックを通った後、初めて、携帯電話を持っていないことに気づき、しまったと思いました。私は警備員に、お手洗いに行って、私の携帯電話がそこにあるかどうか見てきてくださいと頼みました。

5分後、彼女は戻ってきて、お手洗いの入り口で大声で、携帯電話を失くした人がいます、誰か見つけた人はいませんか、と言ってくれたそうです。すると、私の携帯電話を持っているらしく思われる女性がそこにいたのでしたが、応えなかったので、警備員はそのまま戻ってきたとのことでした。自分には、それを取り返す権限はないのだ、と言うのでした。

彼女の言葉を聞いて、私はすっかり望みを絶たれたように思いました。まず、自分がもっと注意しなかったことで、また、そんな失敗を自分に許してしまったことで、気が滅入っていました。そこで、私は、キリスト教科学の勉強で学んでいるように、祈り始めました。の国には失敗など存在しないことを断言し、はこの状況を正しく調整し得ることを信頼していました。「静かな細い声」が、聞こえてきて、私のものである物が、私から取り去られるはずがないこと、また、創世記に述べられているように(1:31参照)、は私たちをみな、善なるものに創ったのだから、不正直な人も、また、被害にあう人も、存在し得ないと、告げました。は私たちを、高潔に、そして自由に作りました。

私は友人に「さよなら」の電話をかけるつもりでしたが、携帯が手元になくなってしまったので、腰をおろしてコンピューターを開き、eメールで電話の件について書き送りました。友人はメールを返してきて、「あなたの携帯番号に電話をしてみたら」と書いてきました。私はすぐに、コンピューターで、スカイプを使って電話しましたが、応答がありませんでした。もう一度試してみようと思い、ダイヤルをまわしながら、の創造には、正しいことがしたいという願いしかないことを祈っていました。すると、一人の女性が電話に出て、外国語で話し始めました。彼女は私の言っていることが分からないようすでした。私は、霊的権威をもって語るべきであるという導きを受けて、あなたは、の反映として正直であり、正しい行ないをしたいと望んでいるはずであると言いました。私は、彼女にこのことを幾度も繰り返し話しました。すると、彼女への暖かい同情心が、私の心の中に湧いてきました。

ついに、その女性は、不完全な英語で、電話器を別の人に渡すので、その人と話して欲しいと言いました。しかし、それは同じ声の持ち主であるように聞こえました。私は再び、その電話は私のものであり、私にはなくてはならないものであって、また、正しいことをしたいという心が、彼女の真の本性であることを話しました。すると、その女性は、別のターミナルの搭乗ゲートのチケット売り場に、私の携帯電話を預けておくと言いました。私は彼女にお礼を述べ、そのターミナルへ走って行き、そこで自分の携帯電話を取り戻すことができました。

詩篇37篇は、「全き人に目をそそぎ、直き人を見よ。その人はついに平和を得る」(37節、欽定訳聖書より)」と詠っています。私たちは、たとえどこにいても、自分を含めて、すべての人が、の完全な創造であることを認めるときに平安が得られることを、見たり、体験できることは、本当にすばらしいことです。この理解の結果、私は自分は失敗したのだとか、それは私の責任だとか信じることから、解放されました。この経験はまた、どこにおいても、誠実さと純粋さが、人類すべての霊的遺産であることを示してくれました。


『さきがけ』の使命

1903年に、メリー・ベーカー・エディは、『キリスト教科学さきがけ』を創刊しました。その目的は、「真理の普遍的活動と有用性を宣言する」ことでした。ある辞書によると、『さきがけ』定義は「先発の使者」(先触れ、先駆け)ー 後に起こる事が近づいていることを告げるために先立って送られる者、使者」であり、『さきがけ』という名称に重要な意味を与えています。さらにまた、この定義は、私たちの義務を指し示しています。それは私たち一人一人に課せられた義務であって、私たちには、私たちの『さきがけ』がその責務を十分に果たしているか見届ける義務があるのです。この責務はキリストと不可分であって、まず初めに、イエスが、「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ」(マルコ 16:15)と述べて、表明したものでした。

Mary Sands Lee (メリー・サンズ・リー)、Christian Science Sentinel, 1956年 7月 7日

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