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争いを、善の機会とする

キリスト教科学さきがけ』2009年10月 1日号より

Christian Science Sentinel, March 30, 2009


つい先日のある日曜日の午後、マリオン・ストダートさんに会う機会に恵まれました。彼女は、マサチューセッツ州の北東部を流れるナシュア川を浄化することに、大きく貢献した女性です。

1960年代にマリオンさんがこのプロジェクトに着手した頃、ナシュア川は、全米で最も汚染された10の川のひとつとされ、生態系は死滅していると考えられていました。ところが、マリオンさんには夢がありました。川を生き返らせ、岸辺に緑地帯を作って、野生生物が繁殖し、人々が楽しめる憩いの場にしたい、と願っていたのです。しかし、彼女の計画は、州議会のみならず、川に工場廃水を垂れ流している製紙会社その他から、さまざまな抵抗を受けました。彼らは、高額な費用がかかる浄化装置や他の改善策に、賛成するという雰囲気ではありませんでした。

私がマリオンさんに最も感心したのは、どれほど大変な難題に直面しても、そして、あるものは今日もなお未解決なのですが、彼女は決して失望しないということでした。あるとき町の公聴会で、あなたはなぜそのように前進し続けることができるのですか、と聞かれたときも、彼女は快活に、自分は否定的な思考を一切受け入れないのです。そしてむしろ、すべての争いを、学ぶ「機会」として捉え、同時に、教え、啓発する機会、自分自身の理解を深める機会として考えるのです。そしてその結果、それを良い変化をもたらす力にするのです、と答えました。

マリオンさんの生き方は、この雑誌の創始者であるメリー・ベーカー・エディが、『科学と健康ー付聖書の鍵』の中で見事に述べていることを、例証しているように思います:「わたしたちにとって最も必要なことは、慈しみを増したいと熱望する祈りであって、忍耐・温順・愛・善行となって 表われてくるものである」(p. 4)。事実、このように「慈しみを増したい」、自尊心と我意を捨てて、神性のの導く指示に従って、すべての人に善をもたらしたい、という意志がいや増すことが、この世の大小さまざまの争いを、平和的かつ恒久的な解決に導くのだと言えるでしょう。

『さきがけ』には、このような祈りによる対処法が、いかに霊的に有効であるかを示す記事が数多く載っています。そして、ある筆者、世界平和の構築に励む組織を運営しているリビィ・ホフマン氏は、厳しい紛争の最中に、「たとえ何が起こっても、は、前進する考えの一つ一つが展開しゆくことを、守り、支える」ことを知るに至ったと書いています(「許すことを決意する」参照)。どんな争いのなかにも、善の到来を見いだす可能性が秘められているのです!

『さきがけ』の使命

1903年に、メリー・ベーカー・エディは、『キリスト教科学さきがけ』を創刊しました。その目的は、「真理の普遍的活動と有用性を宣言する」ことでした。ある辞書によると、『さきがけ』定義は「先発の使者」(先触れ、先駆け)ー 後に起こる事が近づいていることを告げるために先立って送られる者、使者」であり、『さきがけ』という名称に重要な意味を与えています。さらにまた、この定義は、私たちの義務を指し示しています。それは私たち一人一人に課せられた義務であって、私たちには、私たちの『さきがけ』がその責務を十分に果たしているか見届ける義務があるのです。この責務はキリストと不可分であって、まず初めに、イエスが、「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ」(マルコ 16:15)と述べて、表明したものでした。

Mary Sands Lee (メリー・サンズ・リー)、Christian Science Sentinel, 1956年 7月 7日

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